こんばんは(^ ^)

 

 

この前のブログでは幸せは自分が感じないと存在しないものだと書きました。

 

 

幸せの感じ方は人それぞれですね。

 

 

美味しいものを食べる時。

 

 

大切な人とハグする時。

 

 

温泉に入る時。

 

 

自然を散策する時。

 

 

手相鑑定をするようになってから「幸せの形」について考えるようになりました。

 

幸せの形も生活や環境に伴い変わっていくものですよね。

 

 

幸せだなぁ〜〜って思った初めてはいつだったんだろうか?

 

 

若大将、加山雄三氏のように

「幸せだな〜♪」なんて言ったことがあっただろうか?

(例えがふるっ!😆)

 

 

 

みんな幸せを感じるために生きている。

 

 

みんなが幸せなら平和な世の中になるでしょうね。

 

 

 

さて、話は変わります。

 

 

「幸せ」を考えていた時に、環境と発展のための国際会議での、ある大統領のスピーチを思い出しました。

 

2012年の6月 ブラジル・リオデジャネイロでのリオ会議(Rio+20)

 

当時ウルグアイの第40代大統領として会議に参加し、最後にスピーチをしたホセ・ムヒカ元大統領。

 

当時のスピーチに込められた「幸せ」

 

長く語り継がれてほしい、そしてこんな国の指導者がもっと増えてほしい。

 

彼のスピーチです(日本語訳)

 


 

この場に出席されている世界各国の代表のみなさん、ありがとうございます。

 

お招きいただいたブラジル国民、そして大統領閣下に感謝します。

 

これまで発言された全ての方々が表明された誠意にも大いに感謝いたします。

 

いち国家指導者として、
貧しい人々のための取り決めづくりに仲間として共に参加することを表明いたします。

 

しかし、私たちにもいくつか声高らかに質問することをお許し願いたい。

 

今日の午後ずっと
私たちは「持続可能な発展」と
「膨大な数の貧困者対策」を話し合ってきました。

 

けれど私たちの本音は何でしょう?

 

今の発展を続けることが本当に豊かなのでしょうか?

 

質問させてください。

 

もしドイツ人がひと家族ごとに持っているほどの車を

インド人もまた持つとしたら

この地球はどうなってしまうのでしょう?

 

私たちが呼吸できる酸素は残されるのでしょうか?

 

もっとはっきり言いましょう。

 

例えば最も裕福な西側諸国と同じようなレベルで

70億、80億の人々に消費と浪費が許されるとしたら

それを支えるだけの資源が今の世界にあるのでしょうか?

 

それは可能なのでしょうか?

 

それとも別の議論が必要ですか?

 

今のこの文明をつくったのは私たちです。

 

私たちは市場と競争社会から文明という落とし子を生み出し

物質面での驚異的な進歩をもたらしました。

 

そして市場経済は市場社会をつくりだし

それを世界規模に拡大してしまいました。

 

いわゆるグローバリズムです。

 

そのグローバリズムを私たちはコントロールできていますか?

 

逆にコントロールされていないでしょうか?

 

こんな残酷な競争で成り立つ社会で

「みんなで世界を良くしていこう」なんて議論が本当にできるのでしょうか?

 

私たちは本当に仲間なのですか?

 

私は今回の会議を否定するために言っているのではありません。

 

違います 逆です。

 

我々が今挑戦しようとする目の前の巨大な困難は

決して環境問題ではなく 明らかに政治の問題なのです!

 

人類は今消費社会をコントロールできていない、

逆に人類の方がその強力な力に支配されているのです。

 

我々は

発展するためにこの地球にやってきたのではありません!

幸せになるためにやってきたのです!

 

人生は短くあっという間です。

 

しかしその人生こそが何より価値あるものなのです。

 

余計なものを買うためにもっともっとと働いて

人生をすり減らしているのは消費が「社会のモーター」となっているからです。

 

なぜなら消費が止まれば経済がマヒしてしまい

経済がマヒすれば不況というお化けが我々の目の前に姿を現します。

 

しかし今この行き過ぎた消費主義こそが地球を傷つけ

さらなる消費を促しています。

 

商品の寿命を縮め、できるだけ多く売ろうとする。

 

今の社会は1000時間もつような電球はつくってはいけないのです。

 

本当は10万時間 20万時間ももつ電球はあるのに そんなものはつくらない。

 

なぜなら我々はもっと働き、もっと売るために

「使い捨て文明」を支える悪循環の中にいるからです。

 

これは政治問題です。

 

我々は今までと違う文化のために闘い始めなければならない。

 

石器時代に戻ろうとは言っていません。

 

このままずるずると消費主義に支配されるわけにはいかない。

 

私たちが消費主義をコントロールしなければならないと言っているのです。

 

ですから私はこれが政治問題だと言いました。

 

とても謙虚な思いからです。

 

かつての賢人たち

エピクロスやセネカ そしてアイマラ人たちは次のように言っています、

 

「貧しい人とは少ししかものを持っていない人ではなく、もっともっとといくらあっても満足しない人のことだ」

 

大切なのは“考え方”です。

だからこそ

皆さんと共にこの会議に参加し

国家指導者として皆さんと共に努力したいのです。

 

私の発言は皆さんを怒らせるかもしれない。

しかし気がつかなくてはいけません

 

“水問題”や“環境の危機”がことの本質ではないということです

 

見直すべきは我々が築いてきた文明の在り方であり

我々の生き方です

 

なぜそう思うのか?

 

私は環境に恵まれた小さな国の代表です。

 

人口は300万ほど

いやもうちょっと 320万人ほどしかいません。

 

けれど世界で最もおいしい牛が1300万頭

また素晴らしい羊が800万から1000万頭

食べ物 乳製品 そして肉の輸出国です。

 

国土の90%が有効に使えるほど豊かな国なのです。

 

だからかつて私の仲間たちは8時間労働のために闘い

ついには6時間労働を勝ち取った人もいます。

 

しかしそうなったら今度は仕事を2つ持つようになりました。

なぜか? たくさんの支払いがあるからです。

バイクやマイカーのローンを次か次へと支払ってるうちに

私のようなリウマチ持ちの老人になって人生が終わってしまう。

 

そして自分に問いかけるのです
これが私の一生だったのか?と

 

私が言っているのは基本的なことです。

 

発展は幸せの邪魔をしてはならない

発展は「人類の幸せ」「愛」「子育て」「友達を持つこと」そして

「必要最低限のもので満足する」ためにあるべきものなんです

 

なぜならそれらこそが1番大事な宝物なのだから。

 

環境のために闘うのなら1番大切なのは人類の幸せであることを忘れてはなりません

 

 

ありがとう

 

 

 

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